施術理念・歴史
Philosophy & history
当院は
「感謝・誠実・温和・自制・初心」
の五網領である理念のもと あらゆる難病に取り組み、患者様に「愛ある施術を。」を行います。
失ったものを数えずに、残された能力を最大限に生かすことを考え症状の改善を目指します。
歴史
大正14年(1925年) | 初代院長前田喜代松が治療院を開設(大阪市中央区東平野3-3)
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昭和20年(1945年) | 大阪大空襲により、大阪北河内郡住道町に移転 再出発
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昭和34年(1959年) | 前田昌司 香港中国鍼灸医学院に留学 |
昭和36年(1961年) | 前田昌司 先代より院長継承 |
昭和43年(1968年) | 新診療室完成(大東市三住町16-15)
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昭和44年(1969年) | 診察室より出火 全焼 即時再建 前田昌司が香港「アールTV」に出演 |
昭和45年(1970年) | 前田昌司 アメリカ留学(パーマ大学医学部)
中国鍼灸学会 会長 呉恵平博士来訪
前田昌司と大阪医科大 兵頭正義教授と共同で「鍼麻痺診療」を実演
「朝日TV報道ニュース」で紹介される
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昭和47年(1972年) | 第2次中国鍼灸学会(台湾)に招待講演 中華テレビへ出演 |
昭和52年(1977年) | 本院を新築移転(大東市曙町2-8)
同時に付属 前田漢方薬品店を開設
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昭和53年(1978年) | 第3次世界鍼灸大会(ソウル)イガク研究発表会『最優秀論文賞』を受賞 全国のラジオ・テレビに数多く出演し”中国ハリ”のブームの火付け役となる |
昭和54年(1979年) | 分院 銀座針灸院 開設(東京都中央区銀座1-5-2)
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昭和55年(1980年) | 上海中医学(現・上海中医薬大学)と友好条約締結 |
昭和60年(1985年) | 前田中国医学研究院 本部及び本院ビル(6階建)完成し移転
同時に前田漢方薬店を薬局に変更
中国遼寧省 遼寧省中医学院と姉妹提携
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昭和61年(1986年) | 中国よりの招待により前田昌司訪中
蘇州中医医院他5ヶ所訪問 同医院と有効条約締結
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昭和63年(1988年) | 患者宿泊センター”本館”が完成 |
平成3年(1991年) | 前田昌司 中国鍼灸学院(北京)で「新脳針」を発表 |
平成4年(1992年) | 上海中医学院 医師団来日医学交流
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平成6年(1994年) | 中国蘇州市中国医学病院 医師団来日医学交流 |
平成7年(1995年) | ニューヨーク大学と覚書の調印式を行う
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平成9年(1997年) | 大阪桐蔭高校とメディカルトレーナー契約 |
平成10年(1998年) | 前田為康 全日本スキー連盟公認ドクターパトロール認定
大阪市障がい者スキー教室に指導員として参加(20回)
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平成17年(2005年) | 前田昌司院長、会長に 為康副院長、院長へ就任
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平成24年(2012年) | ロンドン2012パラリンピック陸上日本代表チームにトレーナーとして同行
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平成25年(2013年) | 前田為康「鍼電気刺激(EA)は難聴治療に有効であるか否かについて」論文認定 |
平成27年(2015年) | 前田針灸接骨院 創立90周年記念式典
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平成28年(2016年) | リオデジャネイロ2016パラリンピック陸上日本代表チームにトレーナーとして同行
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平成30年(2018年) | 会長前田昌司 逝去 |
令和3年(2021年) | 東京2020パラリンピック陸上日本代表チームにトレーナーとして同行
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(故)前田昌司 著書
- 万病回春百科 1982年 主婦の友社 (著書)
- 奇跡のツボが見つかった 1986年 トクマブック (著書)
- 最新ツボ療法 1988年 にっかん書房 (著書)
- 最新中国針灸療法 1988年 創芸社 (著書)
- 職場でおこる病気発見法 1990年 にっかん書房 (著書)
- 脳血管障害からの生還 1993年 鷹書房弓プレス (著書)
- 老年痴呆症からの生還 1994年 現代書林 (共著)
- お母さんのための小児科東洋医学 1996年 現代書林 (共著)
- 東洋医学全書 1996年 現代書林 (共著)
- 痛みの解消『神の手』を持つ15人 2007年 現代書林 (共著)
- 驚異の新脳針 2009年 現代書林 (著書)
- 90年の歴史が生んだ「新脳針」の足跡 2015年医療ジャーナリスト浅岡光志著者 (監修)